最高裁判所第一小法廷 昭和48年(行ツ)30号 判決 1976年3月18日
上告人 菊地正治
被上告人 福岡税務署長 ほか一名
訴訟代理人 貞家克己 ほか七名
主文
原判決中、被上告人福岡税務署長が上告人の昭和四〇年分所得税について同四一年九月二六日付でした更正及び過少申告加算税賦課決定の取消請求に関する部分を破棄し、右部分につき本件を福岡高等裁判所に差し戻す。
上告人の被上告人福岡税務署長に対するその余の上告及び被上告人福岡国税局長に対する上告をいずれも却下する。
前項に関する上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人古原進の上告理由について
所得税法五六条によれば、納税義務者と生計を一にする親族が納税義務者の営む事業に従事したこと等により当該事業から対価の支払を受ける場合には、その対価に相当する金額は納税義務者の事業所得等の金額の計算上必要経費に算入しないものと定められているところ、原判決は、(一) 上告人は、印刷業を営む者であつて、その長男義隆及び次男正義(以下「義隆ら」という。)を右事業に従事させているが、昭和三九年までの所得税の申告にあたつては、義隆らをいわゆる事業専従者として申告し、専従者控除を受けていたこと、(二) 上告人は、昭和四〇年中に義隆らに支給した本件係争の雇人費につき義隆らから源泉徴収所得税を徴収しておらず、義隆らも同年の所得を課税対象とする市民税や県民税を納付していないこと、(三) 右雇人費の支給は、毎月の支給金額及び支給日が一定せず、通常の給与体系とは異なるものであつたこと、(四) 義隆らは、専ら上告人の事業に従事し、その事業から生ずる収入のみによつて生計を維持していたこと、を認定したうえ、以上の事実によれば、義隆らは、昭和四〇年当時上告人から生活費の支給を受けていた者であつて、上告人と生計を一にする親族にあたるというべきであるから、同年中の右支給額を上告人の事業所得の金額の計算上必要経費に算入することはできない、と判断している。
しかしながら、原審の認定するように、義隆らはいずれも当時既に結婚して上告人と別居していた者であり、また、上告人の事業が親子だけによる小規模な個人企業であることを考えると、右(一)ないし(四)の事実のみから直ちに、係争の雇人費が義隆らにおいて上告人の事業に従事したことの対価であることを否定し、家族間の扶養の一態様として支給された生活費にすぎないとみることは、社会通念に照らし当を得たものとはいいがたい。そして、原判決挙示の証拠によれば、義隆らは、毎月支給を受ける右金員のうちから自らの責任と計算でそれぞれの家賃や食費その他の日常の生活費を支出し、時に上告人から若干の援助を受けることがあつたものの、基本的には独立の世帯としての生計を営んでいたことがうかがわれるのであり、右生計の源泉が専ら上告人の事業にあつたからといつて、上告人と有無相扶けて日常生活の資を共通にしていたものと認めるには足りない。してみると、前記の事実を確定したのみで義隆らと上告人とが生計を一にする関係にあつたと判断し、上告人の本訴請求中被上告人福岡税務署長に対して本件更正及び過少申告加算税賦課決定の取消を求める部分を失当とした原判決は、ひつきよう、所得税法五六条の規定の解釈適用を誤り、ひいて理由不備の違法を犯したものというほかなく、その違法をいう論旨は理由がある。
なお、上告人は、原判決中被上告人福岡税務署長に対するその余の請求及び被上告人福岡国税局長に対する請求に関する部分については、上告の理由を記載した書面を提出しない。
よつて、原判決中被上告人福岡税務署長に対する本件更正及び過少申告加算税賦課決定の取消請求に関する部分を破棄し、更に審理させるため、右部分につき本件を原審に差し戻し、同被上告人に対するその余の上告及び被上告人福岡国税局長に対する上告をいずれも却下することとし、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇七条、三九九条の三、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 団藤重光 藤林益三 下田武三 岸盛一 岸上康夫)
上告理由
原判決中、更正処分に関する点は所得税法第五六条の「生計を一にする」の解釈適用を誤つた違法があり、その違法は判決に影響を及ぼすことは明らかである。
一 家族専従者給与の必要経費算入を認めていない所得税法第五六条の不合理性。
(一) 家族専従者給与の必要費算入を認めない理由について、税制調査会は、<1>個人企業の実態からみて、家族従業員に対する給与の支払慣行は一般化していない。<2>専従者控除の限度額を廃止して無条件に経費を認めることになると、恣意的な給与の取決めによる負担の不当な軽減を図るおそれがあり、他の所得者との負担のバランスからみて適当ではないと説明している。
しかし右の点に関する説制調査会の考え方は合理性がない。
<1>については給与の支払が一般化していない事実があるにしても、それは現行税法上「生計を一にしている」場合に給与を支払つても必要経費を認めないようになつていることも原因となつているものであり、税法を改めれば、給与の支払は慣行化されると思われるのでこの点の税制調査会の意見は説得力を欠く。
<2>の恣意的な給与の取り決めがなされるおそれがあるという点であるが法人企業においても、株主総会や労働組合による牽制はあるにせよ、家族従業員給与を恣意的に決められるおそれはあるにも拘らず家族従業員に対する給与の必要経費算入を認めていることの対比からも個人企業の場合にこれを認めない合理性はない。恣意的に給与が決められるおそれがあるのであれば法人税法における「過大」報酬否認に関する考え方を所得税法においても適用すればよいのであり、専従家族の給与に対する必要経費不算入の措置を維持しなければならない理由はない。
我税法は実質課税の原則を採用している。個人企業の家族従業員に対する給与支払いを必要経費に認めないということは、実質課税の原則に反する。所得税法第五六条は、実質課税の原則に反する例外規定であり、しかも前述のように合理性のない規定であるから、その規定の解釈適用にあたつてもできるだけ実質課税の原則に副うよう厳格に制限的に解釈されなければならない。
二 所得税法第五六条の「生計を一にする」の正しい解釈。
……基本通達五〇について……
現行所得税法において「生計を一にする」か否かが問題とされるのは、被上告人福岡税務署長が本件更正処分の根拠としている同法第五六条の場合だけではない。例えば、同法第二条第三三号および同条第三四号において控除対象配偶者および扶養親族を確定するについても問題とされるのである。すなわち、控除対象配偶者および扶養親族は所得者と「生計を一にする」配偶者または親族であつて、所得額が一定の基準に満たない者をいうこととされているのである。
ところで、右にいう「生計を一にする」の意義を確定するについては、現行法第二条第三三号および同条第三四号と同趣旨の規定をしていた旧法(昭和四〇年四月改正前の所得税法)第八条第一項および第二項についての基本通達五〇を参照する必要がある。
右基本通達は次のようにいつている。
「法第八条の『生計を一にする』とは、有無相扶けて日常生活の資を共通にしていることをいうのであるから、次の諸点に留意する。
(1) 公務員、会社員等が勤務の都合上妻子等と別居し、又は就学、療養中の子供と起居を共にしていないような場合においても、常に生活費、学資金又は療養費等を送金して扶養しているときは、生計を一にするものとする。
(2) 同一家屋に起居する親族であつても、互に相独立し、日常生活の資を共通にしていない場合は、生計を一にしないものとする」
すなわちこれを要約すれば、別居していても生活費の仕送りなどをして扶養している関係があれば「生計を一にする」ものとなり、同居していても生活費の面で有無相扶け、一方が他方を扶養する関係になければ、「生計を一にする」とはいえないというのである。要するに現実に扶養関係にあるか否かが「生計を一にする」か否かを決めるメルクマールになるのである。
ところでこの基本通達は、現行法第五六条にいう「生計を一にする」の意義を確定するについても、その基準たりうるものであることはいうまでもないけだし現行法第五六条の趣旨は、扶養親族と同一の関係にある者が、事業から対価を受けている場合には、事業からの対価と扶養者に対する生活費の支給とが明確に区別しえない場合が多いであろうことを慮んばかつて、その所得を全て事業者の所得として取扱い、親族に対しては一定の控除を行うことにするにあるからである。
してみると、本件を考えるにあたつても前記基本通達を参照して「生計を一にする」か否かを決定しなければならないことになる。
三 原判決は上告人の長男義隆、次男正義の両名は、上告人の印刷業を手伝い、上告人は右両名に対し生活費を支給して有無相扶ける関係にあるものと認めるのが相当である旨判示している。
しかし、右両名が上告人から支給された生活費は労働の対価として支給されたものであるから(原判決もそのことは認めていると思われる)賃金とみるべきである。そして右両名は上告人と別居して別世帯をもち、その賃金で生活していたのであるから、上告人と右両名かが扶養関係になかつたことは明らかである。
原判決は、理由四、(一)ないし(四)において右両名が従前専従者控除をうけていたこと、市県民税を納付していないこと、上告人の事業から生ずる収入によつてのみ生計を維持していること、上告人が両名に対する源泉徴収をしていないこと、毎月の支給金額、支払期日が一定していないことの事実を認定しその事実を前提として所得税法第五六条の「生計を一にする」親族にあたると判断しているが、右の事実は扶養関係にあつたか否かを判断するについて関係のない事実である。
以上のように、上告人と長男義隆、次男正義は所得税法第五六条の「生計を一にする」親族にあたらないので同人らに対し支給された賃金は必要経費として控除されるべきところ、原判決は所得税法第五六条の解釈適用を誤まつて「生計を一にする」親族に該当するとして必要経費の控除を認めなかつた違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破毀を免れない。